日本的垃圾分类及其他

作者:初三1班 李思睿 卢沁茗

老师们、同学们,早上好!

我是初三1班的李思睿,我是初三1班的卢沁茗。我们今天讲话的主题是:日本的垃圾分类及其他。

时间真是如白驹过隙啊,转眼我们都是初三了,可初一开学的第一课还记得清清楚楚。那时我们日语班初开学第一课,日语劳老师就教给我们日本人教育孩子的一句常用语"不要给别人添麻烦",就是这简简单单一句话,不仅对我后来改变很大,也改变了我对日本的一些看法。上个暑假,我们终于好不容易有了一次日本研学活动。这次难得的旅程,让我对邻居岛国有了更深刻的看法。

众所周知,日本是个小岛国,位于环太平洋火山地震带,不仅资源匮乏而且灾害颇多。尽管如此,它仍然是一个十分可观的发达国家。我对日本的第一印象就是整洁。放眼望去,街道上没有一个垃圾桶,但找不到一点儿垃圾。在这里,随手丢垃圾就像是犯罪。日本人每天都很自觉地自己带垃圾袋,把垃圾装入垃圾袋里,晚上回家了再把垃圾进行分类。广州现在正在实行垃圾分类,很有必要借鉴日本的做法。我们还参观了垃圾处理厂。我一直很疑惑:日本这么小一个国家,垃圾要放到哪儿呢?原来,日本有许多东西都是通过垃圾分类、熔解、重塑的,只有少数不能回收的垃圾才会烧掉,燃烧后的废渣则会搬去填海造陆。这样做不仅提高了经济生产,还不会破坏环境。

日本人最看重的就是礼仪。如果说中国的礼仪是八齿微笑的话,日本最经典的就是九十度鞠躬。除此之外,日本人上下楼梯或是走人行道时,都会自觉的站到一边,不约而同的排成了一列纵队,十分整齐有序。另外就是日本人刻在骨子里的仪式感,学生过马路,经常会给停车的司机鞠躬表示感谢。还有,日本人日常用餐礼仪都很繁复。总之,礼仪早已深深植入到每个日本人的心里了。

有人说:"喜欢日本就像是喜欢上了仇人家的女儿。"而我认为,历史是用来铭记的,而不是用来延续仇恨的。我很开心我能有这次到日本研学的机会,我学习了日本文化,同时开阔了视野。我想说:"我不悔此行!"

我的演讲到此结束。谢谢大家!

みんなさん、おはようございます。私達は3年1組のらちんめいとりしずいです。今日発表(きょうはっぴょう)のテーマは「日本(にほん)のゴミ分類及(ぶんるいおよ)びそのほか」です。
 
    時間(じかん)の過(す)ごしは早(はや)いものです。あっという間(ま)に三年生(さんねんせい)になりました。

初(はじ)めての日本語(にほんご)の授業(じゅぎょう)では、労先生が「他人(たにん)に迷惑(めいわく)をかけないでください」と教(おし)えてくれました。この簡単(かんたん)な言葉(ことば)でわれわれは日本(にほん)に対(たい)する見方(みかた)が変(か)わりました。

夏休(なつやす)みに学校(がっこう)が主催(しゅさい)した「日本修学旅行(にほんしゅうがくりょこう)」に参加(さんか)しました。それをきっかけにして、日本(にほん)に対(たい)する理解(りかい)を一層深(いっそうふか)めました。

周知(しゅうち)のように、日本(にほん)は小島国(こじまこく)で、環太平洋火山地震帯(かんたいへいようかざんじしんたい)にあります。資源(しげん)が乏(とぼ)しいだけでなく、災害(さいがい)も多(おお)いです。それでも日本(にほん)は十分(じゅうぶん)の先進国(せんしんこく)で世界(せかい)で広(ひろ)く知(し)られています。

日本(にほん)に来(き)て、とても清潔(せいけつ)だという印象(いんしょう)が残(のこ)りました。街(まち)にはゴミ(ごみ)箱(ばこ)がありませんが、ゴミは少しもありません。日本(にほん)では、勝手(かって)にゴミ(ごみ)を捨(す)てるのは犯罪(はんざい)です。日本人(にほんじん)は出(で)かけるとゴミ(ごみ)袋(ぶくろ)を持(も)ちます。ゴミ(ごみ)をゴミ(ごみ)袋(ぶくろ)に入(い)れて持(も)って家(いえ)に帰(かえ)ります。そして家(いえ)でゴミを分類(ぶんるい)して捨(す)てます。

広州(こうしゅう)は間(ま)もなくゴミの分類(ぶんるい)を実行(じっこう)します。日本(にほん)のゴミの捨(す)て方(かた)もいい参考(さんこう)になります。日本修学旅行中(にほんしゅうがくりょこうちゅう)にゴミ(ごみ)の処理場(しょりじょう)も見学(けんがく)しました。日本人(にほんじん)は分類(ぶんるい)したり、溶解(ようかい)したり、再成(さいな)したりしてゴミ(ごみ)を回収(かいしゅう)します。

回収(かいしゅう)できない少数(しょうすう)のゴミ(ごみ)を焼却します。燃(も)えたゴミは海(うみ)に運(はこ)んで陸地(りくち)を作(つく)っています。こうして、経済生産(けいざいせいさん)に協力(きょうりょく)できるし、環境(かんきょう)を破壊(はかい)することもありません。

日本人(にほんじん)の正(ただ)しい礼儀(れいぎ)にも深(ふか)い印象(いんしょう)が残(のこ)りました。中国(ちゅうごく)の礼儀(れいぎ)が「八(やっ)つの歯笑顔(はえがお)」であるなら、日本(にほん)のは90(90)度(ど)のお辞儀(じぎ)でしょう。日本(にほん)では通行人(つうこうにん)が道(みち)の端(はし)を歩(ある)き、列(れつ)に並(なら)んでいて、とても整然(せいぜん)としています。

そして、日本(にほん)ではどこでも儀式(ぎしき)が見(み)られます。学生(がくせい)が道(みち)を渡(わた)る時(とき)、駐車(ちゅうしゃ)していた運転手(うんてんしゅ)さんにお辞儀(じぎ)をして感謝(かんしゃ)の意(い)を表(あらわ)します。食事(しょくじ)のマナ(まな)ーも数多(かずおお)く見(み)られます。これらの礼儀(れいぎ)はすでに日本人(にほんじん)の心(こころ)に深(ふか)く植(う)えつけられました。

「日本(にほん)が好(す)きなのは、かたきの娘(むすめ)が好(す)きになったようです。」という話(はなし)もありますが、私(わたし)はそう思(おも)いません。歴史(れきし)は恨(うら)みを継続(けいぞく)するためではなく、銘記(めいき)するものだと思(おも)います。今回日本(こんかいにほん)に行(い)って、日本(にほん)の文化(ぶんか)を勉強(べんきょう)しながら視野(しや)を広(ひろ)げました。本当(ほんとう)に嬉(うれ)しかったです。

以上(いじょう)です。ご清聴(せいちょう)ありがとうございました。


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